掲題のシリーズですが、いずれも高校時代の話題で恐縮です。我が高校は男子校で、G県のほとんどの県立高校は創設以来、男女別学の伝統を今だに守り続けています。前回からちょっと間があきましたが、引き続き先生にまつわる話を文体を変えて下記します。
漢文の先生は確か、あだ名を「うらなり」と言った。色白で痩せた頬に坊主頭の風貌は見るからにあだ名そっくりだ。か細い声でボソボソと講義して、後ろの席ではよほど注意しないと聞き取れないほど静かな授業だった。ところが、この先生の講義で年に1度だけ大喝采を浴びる日が来て、この日、生徒はみな「探幽、探幽」と言ってもてはやした。話は極ショートだ。漢文の授業に狩野探幽と言う江戸時代の絵師がどう関連したのか、今となっては思い出せないが、先生はこう切り出した。「みんなは日本画家の狩野探幽はよく知っていると思うが、中国人にとっては探幽とはとんでもない名前なのだ」と。この続きが始まると教室は騒然となり、皆総立ちになって歓声をあげた。「幽というのは幽霊ではなく、実は中国では女性の大事な秘部のことを指す。これを探る探幽なる名の日本の画家は大胆にもほどがある。一体、どんな絵を描くのか」と締めくくった。この最後のくだりに至ると、皆床を踏み鳴らし机を思い切り叩いて大喝采した。なんとも男子校ならではの風景だった。
次に私が英語のM先生と絡んだ話を一つ。その当時、私は市外からの電車通学で、電車から降りて駅前から自転車で川向こうの高校に通った。川を渡ると、自転車に乗るほとんどは我が校の生徒たちで皆、キャンバス地の布製カバンにゲタばきだった。その日は雨で、駅前でカッパに着替えて川を渡ると目の前にカバンを背負ってない自転車を見つけた。カッパに着替えた拍子にカバンを自転車小屋に忘れたことのある私は、追い越し際に声をかけた、「君、カバンをショッてないよ」と。ところが、何とそれは英語のM先生だった。車通勤でもすればよいのに、先生は生徒によく似たカッパ姿だった。しまった!M先生は名物先生ではなかったが、授業で生徒を当てるのに決まって最前列か、最後列の生徒をランダムに当てることで知られていた。そのあとは1回の授業でその列の生徒を順送りに当てて教科書を訳させた。そこで生徒は皆、その習慣に従い最前列と最後列の人は事前にちょっと予習をして、そうでない生徒は当日の当たり具合で授業中に予習をしていた。席がど真ん中であった私は順番が回るまでには十分時間があって、いつも不勉強ながら楽勝な授業だった。ところが、この日ばかりは違っていた。授業が始まるなり、いきなり私が当てられた。しかも、いつもの倍以上の分量だった。もうシドロモドロ状態で、今思い出しても身の毛だつ。その後はと言えば、前にも先にもその時、1回ポッキリの当て方だった。極親しい友人だけには内緒にすることで顛末をバラしたが、生徒の間では7不思議な授業の一つとして、しばらくは噂されていた。話は尽きないが、次回でシリーズも最終回とする。