今日は毎年この時期に開催される地元合唱団の定期コンサートに行ってきました。場所はいつもの松本・キッセイ文化ホールで、夏の小澤フェスティバルもここが本拠地です。写真が会場内の風景で、今回も前から十数列目に陣取りました。本当はもっと前の方が自分好みなのですが、このホールは前の方の席があまりせり上がっていないため、見通しを気にして少し後ろ目の席にしています。今回のプログラムはベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番とブラームスのドイツ・レクイエムでした。感想は、
- ベートーヴェンのピアコン第3番は私にとってはあまり馴染みがありませんでしたが、実際の演奏を聴いてその迫力に圧倒されました。ピアニストは桑原志織でネットで調べると、期待の新人のようです。テクニカルでエネルギッシュな奏法に感心しました。
- ドイツ・レクイエムが演題と聞いて、最初はなんと馴染みのない玄人向けの曲なのだろうと思いました。ネットで演奏会の情報を見ると、意外にもよく公演されることに驚きました。私自身は演奏会で聴くのは初めてで、録音盤を聴くのも最後まで通しで聴くことはほとんどありませんでした。今回、聴いてみてさすが臨場感をもって楽しめました。レクイエムとは「死者のためのミサ曲」の名称でモーツァルトやフォーレが有名ですが、なぜブラームスは頭にドイツと銘打ったのか以前から不思議に思っていました。未だその理由はわかりませんが、今日聴いていてブラームスは死者のためではなく、自身の死生観をもとに生者のための鎮魂歌を目したように感じました。そして100人を超える大合唱団の迫力にこれまた圧倒されました。最後の第7曲が静寂な終わり方だったので、第6曲の壮大なフィナーレで曲全体を終わらせた方が個人的には好ましく思いました。





湊かなえの小説を初めて読んだ。うちのオバはんがよく好んで読む作家で、図書館予約して丁度読み終えた本だと言うので、私もどんなものか読んでみた。どうやら推理小説では当代の人気作家のようだ。実際に読んでみると、簡易な文章はあれこれ考えずに読めるのだが、作風は口語体の言いっぱなし調でとても馴染めなかった。文体がチャラオのヤング言葉風になっているのも気になった。女流作家特有な言い回しなのか、或いはこの作家の個性なのかとてもクセのある文章に加えて、どうでもよさそうな話に四散してまとまりがなく、もっと簡素化し研ぎ澄ました方が良いのではないかと思った。ストーリはよく練った面白い構成だが、書きぶりが脚本家のように口語主体にしている反面、ストーリ展開が脚本のようなテンポがなくて間延びしていて中途半端だ。口頭セリフの余分なシーンや冗長な部分をカットし、逆に小説本来の心理描写をもっと盛り込めば、私好みになるのにと残念に思った。他の作品も読んでみるか悩ましく、微妙な作家だ。なお、この本は最近テレビドラマ化され最後の結末が小説と異なったことで物議を醸し出した、とオバはんから聞いた。
しばらく読書から遠ざかっていたわけではないが、ちょっと込み入った本を複数読んでいて、この読書投稿は久しぶりとなった。題記の本は飛鳥時代の古代史に関するもので、図書館の新刊本の人気図書リストの中で見つけ予約した借りた。歴史書は平清盛の平安時代までは馴染みがあるが、それよりも遡るとなるとなかなか出回る本も少なく読むチャンスが薄らいでいた。でも、聖徳太子や蘇我一族に代表する飛鳥時代の歴史に以前から興味を覚えていて、表題の本を見つけて少なかぬ期待が湧いた。何せ、古代史は大化の改新と壬申の乱くらいしか知識が無く、とても新鮮な感覚で読むことができた。今回の本は天智天皇と天武天皇の時代をめぐる物語で、蘇我宗家の滅亡の実態を筆者の巧みな創作で綴った小説だ。作品は蘇我一族に肩入れしていて、天智や天武天皇の歴史的偉業は棚上げされ両者とも殺戮者の暴君として描かれていて面白かった。壬申の乱は今までの記憶と違った敗者側の見方が色濃く出ていたり、大化の改新は歴史的な政治改革の裏で実際は陰謀や策謀がうごめいた暗い史実が浮き彫りにされたようでこんな古代史があるのか、と妙に納得した感がした。もしタイムマシンで覗くことができるのなら、関ヶ原の戦いよりもこの飛鳥時代の政変を是非見たいと思っている。


