今日のブログは極プライベートの個人情報を綴らせていただきます。本日、里帰り出産に来ていた娘が自宅に戻りました。2月10日に来て丁度3ヶ月経ったのですが、怒涛の3ヶ月でした。産科の初診を受けるのに、県外からの来訪者はこのコロナ下でまず県内で2週間経過観察してからの通院スタートで、4月初旬の出産予定日に向けて準備に入りましました。3月に入り、隣県の介護施設で暮らす母の食が細くなり次第に食べれなくなってきた報を受け、このコロナ下でずっと面会不可を続けている施設にお願いして、1年半ぶりに母に会いました。まだ持ち堪えそうで大事に至らないと思っていた矢先、10日後の3月23日に亡くなりました。そして3月26日の葬儀の最中に娘が予定より10日以上早く産気づいて入院し、翌日の3月27日に初孫が生まれました。その後はあわただしい毎日で、昨日が四十九日の法要と納骨を隣県で執り行い、今日は娘の産後1ヶ月検診で母子とも経過良好であることを確認して、午後には車で帰る一家を見送りました。まさに怒涛の3ヶ月です。いつもの生活とは異なったこの3ヶ月、波乱と驚きの日々に人生の縮図そして機微を存分に感じ、いろんな想いが交錯しました。こうして振り返って整理すると、
- 母は101歳の生涯で地域の長寿番付にも載るほどに歳を重ねましたが、最後まで生きる強い意志を持っていました。日記を欠かさず、また姉には2月まで手紙をしたためるほど、まだまだ元気でした。ところが、私との最後の面会では母は何度も何度も「ありがとう」と繰り返していました。こちらこそコロナで長く会えなかったことを詫びるべきところを感謝され、今にして思えばその時、母は自分の最期を感じ取っていて、気遣いながら最後のお別れをしていたように思えてなりません。数字が好きで家計簿をずっと以前から付け続け、日記張も最後の月まで健在でした。体力が弱まっていく中でも車椅子に乗るのを拒んで手押し車でなんとか歩き、人に何かを依頼するのがとても苦手で、ぐっと我慢してしまう性分でした。最期はろうそくの灯が消えるが如く静かに人生を綴じ、正に大往生でした。今はただ、「我慢強く意思を通し続け、最後まで精一杯に生きた」母に感謝し、冥福を祈るばかりです。
- 人生の機微と言うか何と言うか、行く年くる年、ゆく人くる人、輪廻の世界を彷彿するように、初孫が誕生しました。とてもおめでたいです。生まれたのは2,500gの女の子。最初に見た時はその小ささに驚きました。予想していた赤ちゃんよりもはるかに小さく、そして泣き声の大きさと言ったら、あの小さな体のどこから出てくるのか驚くばかりです。赤い赤ちゃんがさらに真っ赤になって泣くのです。今までの老夫婦の静寂さが一変しました。泣き声を聞き、赤ちゃんをずっとずっと見ていても飽きないのです。これが1ヶ月続きました。最初こそ、抱くのに不慣れで緊張したものの今や抱いている時の心地よさは、これまた予想を超えた驚きでした。そうこうして1ヶ月、その間すくすくと育って大きくなり、顔の表情も豊かになりました。そして今日、いよいよ巣立って行きました。
母との今生の別れ、孫との巣立ちの別れ、この3ヶ月の生活とも別れて明日からは元の生活に戻ります。普段通りに戻るまでにはイナーシャがあって、時間がかかりそうですが..。