先日の「塩の道」ウォーク、今回は史跡を辿った歴史探訪に触れたいと思います。まず「塩の道」の由来はご存知の通り、戦国時代に上杉謙信が宿敵の武田信玄に塩を送ったという有名な「義塩」の故事によるものです。この道は糸魚川から松本まで約120kmの距離で、途中宿場の一つ「千国」(ちくに、現小谷村)から名付けられました。今の国道147(松本-大町)・148(大町-糸魚川)号線は今だ「千国街道」とも呼ばれていますが、実際の旧街道は暴れ川の異名をとった姫川沿いの今の国道ではなく山腹や峠越えの細々とした道でした。塩などの流通品は糸魚川 – 大町間が5〜6日の行路で、生魚は糸魚川を午後4時に出て、翌々朝に松本に着く超特急便もあったようです。年間を通じて往来があり、荷役は積雪5m越えの冬場は歩荷(人が背負うボッカ)、それ以外は牛車ではなくポスターのような牛方に頼った交易でした。馬でなく牛が活躍したのは、険しい山道には爪が二つに割れていて踏ん張り強く、山中の狼や山犬に馬は早々に逃げるのに対して牛には闘争本能があるのだそうです。こうした交易の姿や当時の人々の暮らしや文化を今回立ち寄った3つの施設を通して知りました。その歴史の一端を以下の施設毎に紹介します。
【小谷郷土館】昭和48年まで村役場として利用された茅葺き屋根の史料館
【千国番所】荷役の通行税徴収や人改めほか治安など、昔の監視場所
【牛方宿】牛は土間、牛方は牛が見える二階にと、一つ屋根の下で寝泊りした宿