1月はほとんど外出もせず、すでに後半となりました。暖冬でスキー場も雪不足のようです。この1月の安曇野・穂高の天気がどうであったか、気象庁のデータを元にグラフ化してみました。例によって、過去30年間との比較を図示しましたが、気温は最高、最低共に例年よりも高い状態ですね。雨量は今月7・8日が大雨でした。スキー場の麓でも大雨で、せっかく積もった雪がかなり溶けてしまったとも聞いています。今日は最高気温は例年並みでしたが、最低気温はプラス5℃ほど高い状態です。この先も暖冬の傾向は続き、スキー場の降雪もあまり期待できないようです。さて、まだ初滑りもしていない今シーズンですが、どうしたものでしょうか。
1月の天気
今日は音楽三昧?
たまにうちのオバはんは首都圏に出かけて留守することがあります。今日がその日で、そんな時は家で一人で音楽三昧と相なります。何せ、我が家は部屋仕切りの壁をできるだけなくして、ワンルームのようにしているので、音は家中に響き渡ります。一見不便そうですが、誰もいない時はかえって好都合です。コンサートホールほどではないですが、家全体の空間が音のキャパシティとして上がり、大音量にして音を聴くにはもってこいなのです。そんなわけで今日は音楽三昧の1日でした。お気に入りのCDはワルターのシンフォニーで、ベートーベンに始まりマーラーまで堪能しました。そして、ピアノも思うがままです。このところ練習不足で、いかにサボっていたかを痛感した1日でした。
薪ラック、入替え
本日の安曇野・穂高の最低気温はマイナス4.9℃、最高が4.2℃でした。今日は例年並みとはいえ、今シーズンは暖冬でまだ1〜2℃高い感じです。それでも、午後は日照がほとんどなく、室温もだいぶ低くなりました。いつもは午後5時頃に暖房の薪ストーブを炊き始めるのですが、本日は2時間ほど早めました。我が家の暖房は薪ストーブのみですが、薪の消費もシーズンの半分ほどで昨日、薪ラックを新しいものに入れ替えました。毎年4ラックほど燃やすのですが、2回に分けての入荷で、ちょうど暖房もシーズン半ばとなります。下の写真が入荷した薪、重量にして計1.2トン相当です。右の写真は本日燃やす薪を用意したところで、真冬の厳冬期は1日平均12本ほどの薪を燃やしています。今年は暖冬とは言え、日照条件で日のある時は家も太陽光で温まるのですが、今日のような日は暖房をしっかりしないといけません。まあ薪の消費量は今年も例年並みと思っています。
第162回芥川賞・直木賞、受賞作発表
本日、各受賞作の発表がありました。芥川賞が古川真人の「背高泡立草(せいたかあわだちそう)」、直木賞が川越宗一の「熱源」と決定しました。芥川賞は全候補作を読みましたが、今回の受賞作はさもありなんとは思ってはいたものの、一番取って欲しくなかった作品です。直木賞受賞作は図書館から借りて年末年始、我が家でつんどくしていた作品で、返却日までに全く手がつかず、読めなかったことが残念でした。再度予約していて、今、次に借りられる順番になっていて、読むのを楽しみにしています。
呉勝浩「スワン」を読んで
明日、発表予定の直木賞にノミネートされた題記の本を読んだ。サスペンスやミステリーとはちょっと違う、文芸ジャンルとしては事件小説の類だと思う。巨大ショッピングモールで起こった無差別殺戮テロの被害者同士が事件を振り返って論争し、各自の抱えた過去や嘘が次第に暴かれ、反駁し敵対して最後のクライマックスを迎えると言った流れのストーリーだ。事件そのものは最初の60頁、全体の1/6ほどで愉快犯達の自殺で終結するが、犯人と被害者との関わりを巡って「本当は何が起きたのか」がテンポ良く展開されていて、読むに飽きない。そこそこのサプライズやどんでん返しがあって楽しめた。ただ、スワンの題名にも関係してバレエ「白鳥の湖」のシーンがやたらと出てきて物語を脚色し、こじ付けがましさを感じた。
木村友佑「幼子の聖戦」を読んで
今回の芥川賞候補作で最後の5作品目を読んだ。分かりやすい文章で取っ付きやすく、おごりやお澄ましなどの気取りもなくて庶民的な感じがした。芥川賞候補は昔から純文学生粋の中編小説が当たり相場だが、この作品はどちらかと言うとエンタメ風の仕上がりだ。主人公は品がなくチョイ悪で、卑劣感とは言わないまでもとても同情しがたい輩の物語となっている。その一方で、主人公は題名から推測される幼稚で無垢な心を持って世の中の不条理や閉塞感に変則ながら忽然と立ち向かい、疲弊し挫折し、打ちのめされるストーリー展開になっている。その生き方に共感するまでは至らないが、ある種の諦観が共有できたような気がした。今回の5人の候補者の中では一番高齢の50歳で、ネットでは結構評判を呼んでいることを知った。そして、読み易かったのは作者との年齢ギャップが比較的に小さかったことも影響しているのか、と勝手に想像したりしている。
高尾長良「音に聞く」を読んで
今回の芥川賞候補作で4作品目を読んだ。とても難しい内容で、斜め読みした程度では中身がつかめなかった。文章全体はとても洗練されていて、新人作家の中でその筆力は相当なものを感じた。舞台はウィーンで、そこに住む疎遠となっていた父親を姉妹が訪問した時のことを書き留めた手記となっている。延々と描かれているのが音楽と文学の芸術論で、これがテーマなのか、それとも親子の憎愛、はたまた姉妹愛なのかが判然としなかった。ちょっと説明不足の消化不良気味で唯一、ウィーンの劇場や美術館の雰囲気はよく描かれていたと思う。作者を調べると、医師を務める若い才女で読後に初めて女流作家の作品であることを知りつつも、なーるほどと納得した。今回が3回目の芥川賞ノミネートで、結果がどうなるか気になる作品だった。
三九郎、立ち会いました
今年もやってきました、三九郎です。信州でも松本エリアだけ、どんど焼きとは言わず、三九郎と言ってます。謂れは諸説あるようですが、「凶作・重税・疾病の三つの苦労を三九郎と言わしめ、正月のしめ飾りや達磨などと一緒に燃やして、神送りをする行事」のようです。我が家の正月しめ飾りも以下の画像の一部として、無事神送りしたことを立ち会いました。火入れの着火は午後4時頃でした。間近で見ると結構迫力があって、写真と動画を以下に載せました。ご覧ください。
動画は以下にYouTube投稿したもので、シンプルながら雰囲気は出ていると思っています。
古河真人「背高泡立草」を読んで
題記の芥川賞候補作を読んだ。これで3冊目で、この作家は2年半前にもノミネートされてその時にも読んだ。どうやら今回でノミネートが3回目のようだ。新人登竜門の芥川賞がいつまでノミネート対象になるのかは知らないが、結構複数回ノミネートされる作家が多く、それだけの実力者の一人なのか、はたまた気鋭の新人が枯渇気味なのかもよく知らない。とにかく読んで全く面白くなかった。これは前回読んだときと同じで、前回は「ノミネート作でなかったら最初の数十ページで放棄する類のものだった」とあり、今回もそのリピートだ。今回も舞台は北九州の小さな漁村で、親類縁者が集まって空き家となった実家の草掃除をするストーリーで、村の変遷や当時住んでいた人の日記風の挿話が色々と出てきたが、一体何を言いたいのか分からず面食らった。面白くなかったことの最大の理由は主人公不在なことだった。