今回の芥川賞候補作で4作品目を読んだ。とても難しい内容で、斜め読みした程度では中身がつかめなかった。文章全体はとても洗練されていて、新人作家の中でその筆力は相当なものを感じた。舞台はウィーンで、そこに住む疎遠となっていた父親を姉妹が訪問した時のことを書き留めた手記となっている。延々と描かれているのが音楽と文学の芸術論で、これがテーマなのか、それとも親子の憎愛、はたまた姉妹愛なのかが判然としなかった。ちょっと説明不足の消化不良気味で唯一、ウィーンの劇場や美術館の雰囲気はよく描かれていたと思う。作者を調べると、医師を務める若い才女で読後に初めて女流作家の作品であることを知りつつも、なーるほどと納得した。今回が3回目の芥川賞ノミネートで、結果がどうなるか気になる作品だった。
高尾長良「音に聞く」を読んで
三九郎、立ち会いました
今年もやってきました、三九郎です。信州でも松本エリアだけ、どんど焼きとは言わず、三九郎と言ってます。謂れは諸説あるようですが、「凶作・重税・疾病の三つの苦労を三九郎と言わしめ、正月のしめ飾りや達磨などと一緒に燃やして、神送りをする行事」のようです。我が家の正月しめ飾りも以下の画像の一部として、無事神送りしたことを立ち会いました。火入れの着火は午後4時頃でした。間近で見ると結構迫力があって、写真と動画を以下に載せました。ご覧ください。
動画は以下にYouTube投稿したもので、シンプルながら雰囲気は出ていると思っています。
古河真人「背高泡立草」を読んで
題記の芥川賞候補作を読んだ。これで3冊目で、この作家は2年半前にもノミネートされてその時にも読んだ。どうやら今回でノミネートが3回目のようだ。新人登竜門の芥川賞がいつまでノミネート対象になるのかは知らないが、結構複数回ノミネートされる作家が多く、それだけの実力者の一人なのか、はたまた気鋭の新人が枯渇気味なのかもよく知らない。とにかく読んで全く面白くなかった。これは前回読んだときと同じで、前回は「ノミネート作でなかったら最初の数十ページで放棄する類のものだった」とあり、今回もそのリピートだ。今回も舞台は北九州の小さな漁村で、親類縁者が集まって空き家となった実家の草掃除をするストーリーで、村の変遷や当時住んでいた人の日記風の挿話が色々と出てきたが、一体何を言いたいのか分からず面食らった。面白くなかったことの最大の理由は主人公不在なことだった。
そろそろ芥川賞・直木賞発表
千葉雅也「デッドライン」を読んで
何の予備知識も前評判も無縁にして、題記の芥川賞候補作を読んだ。大学院生の卒論の期限が迫るなかで繰り広げられる生き様を描いた小説で、とても得体の知れない内容だった。退廃とは違う、自暴自棄でもない、さりとて多くの人が共有できるような青春の痛みを持つものでもない。ジキル博士とハイド氏とは少し違うが、真面目に哲学に向き合う側面とホモに溺れる二重人格の主人公がそこに居た。とても理解し難く、何かしら不潔感も漂ってきて、読後の爽やかさは皆無だ。著者を調べると、大学で教鞭をとる哲学者が定職で、わりと有名人らしい。ネットではこの本の紹介に「気鋭の哲学者による魂を揺さぶるデビュー小説」とあった。確かに魂がマイナス側に揺れて落ち込んでしまうが如くだった。
乗代雄介「最高の任務」を読んで
最新の芥川賞候補作の中の一つを読んだ。候補作品はいつもながら読書感想を書くのが難しい小説で、唯一よいことは作品が短いことだ。賞の応募資格が中編までとされ、分厚い単行本ほどの分量は対象外とされている。本作品を読んで、又いつもながらの感触を持った。分かり易い文章で読みやすいのだが、とことん感情移入したり先を競って畳み込んで読み進んでいくといった醍醐味が一切ない。瑞々しくうまい文章なのに全体が退屈なのだ。この感触はまさに芥川賞を勝ち取る雰囲気だ。主人公の姪と早世する叔母との交流を描いた内容で、日記を多用しているところに新規性を感じた。ただ、多感でナイーブな若い女性の心情を描くのに女流作家のような自然な艶めかしさはなく、文体に無骨な男性作家がイメージされてしまうイマイチさを感じた。
病院に行きました
待ちに待った病院ですが、べらぼーには混んでいませんでした。まあ、うちのオバはんが予め受付を済ませてくれたので、助かりました。この正月はずーうと、お世話になりっぱなしです。結果は意外と言うかシンプルでした。先生の最初の一言は「風邪ですね」。風邪以外の何ものでもないと思っていた私は風邪は当然分かっていて、これを真っ二つにカチ割って、その先の鼻や喉や気管支、そして肺が今やどんな状態に追いやられているのかをハラハラしながら聞くはずでした。ところが、喉の状態はそんなには悪くなく、聴診器の呼吸音はとても穏やかで、肺炎への恐れはありません、とのことで拍子抜けしました。インフルエンザなのかどうかを問うと、もっと早い段階では検査と治療がセットで有効だが、今となっては確度が落ちてあまり意味がないとのことでした。毎日続いていたあの咳込み、胸が張り裂けんばかりの痛みは一体何だったのか、「単なる風邪ですね」とは言われなかったもののどうやら通常の風邪だったようです。カミさんからよく言われる「大袈裟人生」の年始版と言ったところに落ち着きそうです。
ところで、寝込んだベッドの中ではいろんな過去のシーンを思い出しました。瀕死の時は悲しい場面が走馬灯のようによぎるとも言われています。今回は悲しいこともよぎりましたが、今日の病院通いの結果を見据え、一つだけ紹介させていただきます。高1の担任は生物のM先生。先生が風邪を召されとても話しにくそうな講義中に何とこんなことを言われました。「風邪引きは元来つらいんだけど、治りかけてくるとこれが逆転して気持ちがいい。もうこれ以上は悪くはならないし、どんどん良くなっていく。実に爽快な気分がする。A君分かるかね」私はA君ではありませんでしたが、
「シェンシェー、分かりません」とA君が答えると、必ず帰ってくる言葉が以下でした。
「分かれ」と。大方の動詞は命令形をもちますが、普段使いの口語で「分かれ」とはほとんど言わず、これをよく使われた先生のお言葉がいまだ心の片隅に残っています。
風邪には睡眠、と言ったものの
風邪を引いて4日目、まだまだ症状が続きます。まだ声もろくにでません。睡眠さえ取ればと当初は思っていたものの、なかなか寝付けられないのです。横隔膜なのかどうかお腹の中心の膜が四六時えへらえへら笑っていて今にも咳込む寸前の状態で待機して体が妙に戦闘状態なのです。敵もさるもの、安眠させてくれません。何とも辛い限りです。おまけに喉はカラカラ、異常乾燥です。一つだけいいことを思いつきました。マスクすることです。これで敵も少しは勢いが緩和されるのではと一途の望みです。こうなれば風邪くんと長期戦の構えです。今日から思い切って食事と風呂を再開することにしました。
一に睡眠、二に睡眠、三がミカンで、四また睡眠
正月早々に引いた風邪が一向によくならず、今や寝込む事態となりました。鼻から喉へ来て生つばを飲み込むと痛いこと。今はベッドの中で安静にし、ブログはiPhone 越しに操作しています。明日には良くなることを祈っています。










