本日、セイジ・オザワ 松本フェスティバル(OMF)の題記のコンサートに行ってきました。今年6月の初めにチケットのネット販売で購入したコンサートです。小澤征爾・出演のコンサートは即完売で買えなかったのですが、今日のコンサートもチケット発売の初日にすでに最後列しかなかった曰くつきのもので、隅々まで正に超満員の盛況でした。何とも昨日は最前列、そして今日は最後列にハマりました。前半の部はOMFオーケストラ・首席フルート奏者のジャック・ズーンを中心とした室内楽、後半は同オーケストラの金管と打楽器によるアンサンブルでした。何がふれあいコンサートなのかよく分からないのですが、後半にはステージ上に椅子が並べられて40人ほどの一般人が目の前の演奏を楽しんでいました。前半の演奏も大喝采でしたが、後半のアンサンブルは12名の構成ながら、鬼気迫る迫真の演奏で館全体が揺れるが如く鳴り響き、終演するや2階席のほとんどの人が立ち上がって熱狂するほどでした。何せ、後半の金管はカジュアル曲が多く、映画のスーパーマン、インディージョーンズ、そしてスター・ウォーズのダース・ベイダーまでが登場したのですから..。クラシックのはずが、血が踊り久しぶりに興奮したコンサートでした。
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久しぶりに中島京子の最新作を読んだ。認知症の老人とその家族の約10年に亘る日常を淡々と描いた作品だ。時間の経過とともに病状が悪化して異様な世界が繰り広げられていく。しかし一方で、80歳以上のお年寄りの2人に1人が認知症またはその予備軍だと言われている。読み進むうちに、この異様な風景は決して珍しいことではない、極当たり前の日常的風景にすぎない現実に空恐ろしさを感じた。そうなのだ、他人事ではなく近い将来の自分の問題かも知れない。米国では「認知症のことを『長いお別れ Long Good-bye』と言うことが本書の最後に書かれていた。ナルホド、この本では10年前には別れが始まったのだ、と納得した。昨日の新聞で、この作品が中央公論文芸賞を受賞したことを知った。あらためて「長いお別れ」が大きな社会問題でその深刻さを浮き彫りにした思いだ。
題記のTVドラマが始まるようです。日常はニュース以外にあまりテレビを見ないのですが、それでも面白そうなものは録画予約して、気の向いた時間に録画再生しています。ひと頃は海外ドラマ「ダウントン・アビー」と言うシリーズ物にハマっていましたが、シーズン3までの放映で今は小休止している模様です。今度のシリーズは第2次世界対戦中の頃を描いたものだそうで、面白そうなので録画予約することにしました。
本のタイトル名に惹かれて読んでみた。そのストーリに触れると、どう書いてもネタバレとなるので、ここではなるべく控えるようにしたい。最初に出てくる僧が一体何者なのか要と知れず、じれったいほどの書きぶりだが、やがて物語の中核となって展開していくくだりは、まさに本を読む醍醐味だ。ところで、織田信長が本能寺で光秀の謀反と知ったときに言った「是非に及ばず」という言葉は余りにも有名だ。従来の解釈では「仕方がない」と言う諦めの説が一般だが、「何、光秀の謀叛らしいかと?(それが是か非か)本当かどうか、論ずるまでもない。即刻戦え!」と言う解釈もあるようだ。この本ではこの場面の解釈が力説してあって、「(光秀よ、お前は)全く間違っている」の意としていて面白い。この本は「本能寺の変」から15年経過した後の時代を描いた物語で、実在する人々を扱った歴史小説ながら筆者の独自解釈で書かれた面白いフィクションだ。




