今年もやってきました、三九郎です。信州でも松本エリアだけ、どんど焼きとは言わず、三九郎と言ってます。謂れは諸説あるようですが、「凶作・重税・疾病の三つの苦労を三九郎と言わしめ、正月のしめ飾りや達磨などと一緒に燃やして、神送りをする行事」のようです。我が家の正月しめ飾りも以下の画像の一部として、無事神送りしたことを立ち会いました。火入れの着火は午後4時頃でした。間近で見ると結構迫力があって、写真と動画を以下に載せました。ご覧ください。
動画は以下にYouTube投稿したもので、シンプルながら雰囲気は出ていると思っています。








題記の芥川賞候補作を読んだ。これで3冊目で、この作家は2年半前にもノミネートされてその時にも読んだ。どうやら今回でノミネートが3回目のようだ。新人登竜門の芥川賞がいつまでノミネート対象になるのかは知らないが、結構複数回ノミネートされる作家が多く、それだけの実力者の一人なのか、はたまた気鋭の新人が枯渇気味なのかもよく知らない。とにかく読んで全く面白くなかった。これは前回読んだときと同じで、前回は「ノミネート作でなかったら最初の数十ページで放棄する類のものだった」とあり、今回もそのリピートだ。今回も舞台は北九州の小さな漁村で、親類縁者が集まって空き家となった実家の草掃除をするストーリーで、村の変遷や当時住んでいた人の日記風の挿話が色々と出てきたが、一体何を言いたいのか分からず面食らった。面白くなかったことの最大の理由は主人公不在なことだった。

何の予備知識も前評判も無縁にして、題記の芥川賞候補作を読んだ。大学院生の卒論の期限が迫るなかで繰り広げられる生き様を描いた小説で、とても得体の知れない内容だった。退廃とは違う、自暴自棄でもない、さりとて多くの人が共有できるような青春の痛みを持つものでもない。ジキル博士とハイド氏とは少し違うが、真面目に哲学に向き合う側面とホモに溺れる二重人格の主人公がそこに居た。とても理解し難く、何かしら不潔感も漂ってきて、読後の爽やかさは皆無だ。著者を調べると、大学で教鞭をとる哲学者が定職で、わりと有名人らしい。ネットではこの本の紹介に「気鋭の哲学者による魂を揺さぶるデビュー小説」とあった。確かに魂がマイナス側に揺れて落ち込んでしまうが如くだった。
最新の芥川賞候補作の中の一つを読んだ。候補作品はいつもながら読書感想を書くのが難しい小説で、唯一よいことは作品が短いことだ。賞の応募資格が中編までとされ、分厚い単行本ほどの分量は対象外とされている。本作品を読んで、又いつもながらの感触を持った。分かり易い文章で読みやすいのだが、とことん感情移入したり先を競って畳み込んで読み進んでいくといった醍醐味が一切ない。瑞々しくうまい文章なのに全体が退屈なのだ。この感触はまさに芥川賞を勝ち取る雰囲気だ。主人公の姪と早世する叔母との交流を描いた内容で、日記を多用しているところに新規性を感じた。ただ、多感でナイーブな若い女性の心情を描くのに女流作家のような自然な艶めかしさはなく、文体に無骨な男性作家がイメージされてしまうイマイチさを感じた。

