久しぶりに中島京子の最新作を読んだ。認知症の老人とその家族の約10年に亘る日常を淡々と描いた作品だ。時間の経過とともに病状が悪化して異様な世界が繰り広げられていく。しかし一方で、80歳以上のお年寄りの2人に1人が認知症またはその予備軍だと言われている。読み進むうちに、この異様な風景は決して珍しいことではない、極当たり前の日常的風景にすぎない現実に空恐ろしさを感じた。そうなのだ、他人事ではなく近い将来の自分の問題かも知れない。米国では「認知症のことを『長いお別れ Long Good-bye』と言うことが本書の最後に書かれていた。ナルホド、この本では10年前には別れが始まったのだ、と納得した。昨日の新聞で、この作品が中央公論文芸賞を受賞したことを知った。あらためて「長いお別れ」が大きな社会問題でその深刻さを浮き彫りにした思いだ。
中島京子「長いお別れ」を読んで
BSプレミアム「刑事フォイル」
題記のTVドラマが始まるようです。日常はニュース以外にあまりテレビを見ないのですが、それでも面白そうなものは録画予約して、気の向いた時間に録画再生しています。ひと頃は海外ドラマ「ダウントン・アビー」と言うシリーズ物にハマっていましたが、シーズン3までの放映で今は小休止している模様です。今度のシリーズは第2次世界対戦中の頃を描いたものだそうで、面白そうなので録画予約することにしました。
8月30日(日)スタート BSプレミアム 日曜午後9時00分より
(再放送:BSプレミアム 翌週日曜午後4時30分より)
辻大悟「信長の笑み光秀の涙」を読んで
本のタイトル名に惹かれて読んでみた。そのストーリに触れると、どう書いてもネタバレとなるので、ここではなるべく控えるようにしたい。最初に出てくる僧が一体何者なのか要と知れず、じれったいほどの書きぶりだが、やがて物語の中核となって展開していくくだりは、まさに本を読む醍醐味だ。ところで、織田信長が本能寺で光秀の謀反と知ったときに言った「是非に及ばず」という言葉は余りにも有名だ。従来の解釈では「仕方がない」と言う諦めの説が一般だが、「何、光秀の謀叛らしいかと?(それが是か非か)本当かどうか、論ずるまでもない。即刻戦え!」と言う解釈もあるようだ。この本ではこの場面の解釈が力説してあって、「(光秀よ、お前は)全く間違っている」の意としていて面白い。この本は「本能寺の変」から15年経過した後の時代を描いた物語で、実在する人々を扱った歴史小説ながら筆者の独自解釈で書かれた面白いフィクションだ。
ひまわり畑
暑かった夏はどこに行ってしまったのでしょう、のこの頃です。今日午前中、雨のない時間帯に久しぶりに自転車で近くを散策しました。写真は安曇野インター脇にあるスイス村付近で見かけたひまわり畑です。広い畑のどこを見てもひまわりの花がこちらを凝視しているようで、ハッと息を飲むほど興奮しました。安曇野にもまだ夏がありました。
玄関先の虹
長野県共通リフトシーズン券
久しぶりのノラ仕事です
だいぶ涼しくなりました
このところ雨も多くて天候不順ですが、安曇野はだいぶ涼しくなりました。安曇野・穂高の8月、今日まで3週間分の最高と最低気温のグラフを、過去30年間の平均と比べて以下に表示しました。月初めは猛暑が続きましたが、10日を過ぎたあたりから最高気温は下がり後半は例年よりも気温が下がってきています。よく見ると、最低気温は例年並みでほとんど変わらずに最高気温がかなり変化しているのが分かります。この先どうなるか分かりませんが、一頃のバカ陽気は解消されたと思っています。
小池真理子「千日のマリア」を読んで
この本は9年に亘って雑誌に掲載された8つの短編を纏めて今年2月に刊行された。恋・性・別れ・老い・死などをテーマに、そのほとんどが歪んだ男女の関係として描かれていて、独特な静寂とその景色の断片が色濃く漂う小池ワールドにどっぷり浸ることができる。ところが、美しく凛々しい文体が醸し出す数々の名場面に印象付けられたはずが、果たして読後には各タイトルを眺めて、一体どのようなストーリであったかほとんど思い出せない我が老化現象の悲哀を味わった。おまけに、表題の短編はしばらく読み進んだ後になって、かつて雑誌で読んでいたことに気づいて唖然とした。