今日は旧盆の入り。帰省している娘共々、県内を少しドライブすることに。まるで久しぶりの遠出。暑さも忘れ、外出の楽しさを存分に味わった。そして如何に休息が必要であることも..。
小谷村のコルチナスキー場にあるイングリッシュ・ガーデンでは心安らいだ。
真夏の善光寺もまた然り。
あまりに久しぶりの写真投稿にどうやったらいいのかすっかり忘れ、しばし呆然となってしまった。早く以前の勘を戻さなくては..。
このところ体調が思わしくなく休み明けの今日、主治医のところへ。今現在、服用治療中だが、血圧が乱高下して収まるところがない。血圧が90以下になって、卒倒しそうになったり、逆にその日のうちに200近くになったりとさんざん。
主治医の先生はあまり思い込まないように、と。自治会長を早くやめて気楽になることです、と今日も言われた。何分、忘れたいのだが、どうしても自治会でハシゴを何度も外された光景が今だ心の奥深くに残っていて、暗黒の幻影が容赦なく襲ってきて止まない。
冷静に考えれば、議題の「自治会を暴露することに」をメインテーマに掲げた時と今を比べてまるで事態が様変わりしてしまった。最初は暴露するとは言え、これも自治会を良くするためと肯定的なプラス思考でいた。だが今は違う。1年間の自治会長と次年度の評議員の2年を務めるのを前提にしていたのが、半期で辞任し、しかも自治会を退会することにしたのだ。
今度は暴露することは内部告発のような否定的な摘発行為につながってしまうようで良心が痛む。それでは、あのモンスターがやっていることと同類ではないかと。でも、それともまた違う。正義感そして勇気を持って言うべきことは言わなくてはいけない。
その一番目は、
敬老祝賀の対象者を特定し、名簿を作ることを自治会で毎年実施してきた。市役所に要請し、住民基本台帳から対象者の住所と生年月日を閲覧させてもらい、紙に写し取って名簿にし毎年アップデートしてきた。個人情報保護法の原則は「本人の同意なくして個人情報を第三者に開示してはならない」だ。もちろん区民一人ひとりの同意を取っての申請ではなく、この手法を区民の殆どは知らない。加えて、申請書には「知り得た個人情報は用済み後、速やかに廃棄する」と誓約条文が書かれていて、これを手書きでオーム返しに宣誓している。なのに、消去するどころか名簿は通年で「秘情報」の取り扱い注意の文言もなく、平然とファイリングされていて、年度毎のファイルにあちこち散在されている。これはコンプライアンス上、如何なものかと問うても誰もが「毎年延々とやってきたことに何が問題なの?」と何も問題意識がない。これを是正するべくやっとの思いで現自治会長と区長を説得し、新手法に切り替えた。この2枚の文書作成も庶務である私の仕事。
評議員会でも相手は反対者、或いは無関心者が殆どで、新手法の提案はもの凄いパワーとそれを支える精神的強さが必要だった。今現在、新手法での名簿作りで最後の詰めを行っている。長い道のりだった。
退会を9月末に決めたので、判断した記憶が鮮明のうちに何か書き出すことに。本日、区長さんから電話があり状況が状況なので早速、本日相談役との緊急打ち合わせをし、別途臨時の評議員会を開催することになるだろうと言われた。今後、釈明か何か、何らかの文書提出をすることになるやも。退会理由はいくらでもあるが、まずは先日の会議で言われた始末書(どうして相談もせずにPCを買ったかのいきさつ)を片付けたい。
先日、評議員会で説明した資料はこれ。会議で私が淡々と説明し、特に問題なく次の議題に移ろうとした瞬間、現執行役員の自治会長総代が、「異議あり、本件は何のことわりもなく勝手に導入して事後報告したものです。こんなことは許されていいのですか」との発言がされ、途端に雲行きが一変。私は「また登っているハシゴを外された」と3度目のぶち壊しに震撼。本委員会に掛ける前に、自治会長同士の集まりで、私の事後報告を総代が怒りをぶちまけて猛反対。何とか、区長が調停し評議員会で淡々と説明して乗り切るようにしたのが、またしてもぶち壊し。
私から事前に自治会長総代に了解を求めなかったのは、①火急的速やかにPCを購入しないと間に合わない、②金額が年間の印刷インク代程の金額のPCを選んだ③打ち合わせをなかなか持ちたがらない総代、④高性能ながら安価なPCが家庭用大型テレビに4K画像としてしっかり連携できるか、やってみないとわからない、これらの状況でやってみてうまく行けば、そこから同意して頂く。の順でやってきた、と私から皆に説明した。しかし、この考えが無視された。
区長も、他の自治会長も丸く収めてくれると思いしや、空気が一変して「とんでもないことだ」と一部の幹事役が言い出して「ことわりもなくやった」ことが一気に独り歩きし、1時間半、私に対する避難の嵐。「金額により事前承諾を取らなくてもよい、などの考えはもってのほかだ」「反省を込めた始末書と再発防止」の書類を次回10月に提出し、本件は別提案のDVDプレーヤーを含めて保留。との結論。会議メンバーの皆は誰も発言せず、よく喋る一部の役員が一方的にこの決定を下した。
だが「反省も何も私は何も悪いことをしたことはない」と断言する。この地域だからこその決定事項で、今まで住んでいた世界では会社でも、自治会でも、結果で判断し、途中プロセスの同意の順が多少前後したことなど問題ない、と解釈するのが常識だ。むしろ、プロセスの順に従い合意する稟議などに時間がかかったりして、アウトプットが遅滞するほうが問題視されるのがほとんどだ。達成するスピードがとても大事なのだ。会議はよほどのことでない限り、その場でスピード決着するのが鉄則だ。そのための会議だ。2ヶ月後の会議に持ってこいではお話にならない。がこの地域はメンツばかりにこだわっていて、全くの閉鎖社会だ。
おさらばするしかない。
昨夜、寝付かれず夜半に発作が出た。心臓が締め付けられとても息苦しく、どうにかなってしまう恐怖に襲われ救急車を呼ぼうか迷った。それでも時間にして短く水を飲んで安静にしていたら、何とか収まった。自分の父親、そして叔父、ふたりとも同じ年齢で心筋梗塞で亡くなった。私も同じ年頃に近づいたことが頭をよぎった。朝になり血圧を計るとピークに達していた。今日は、主治医のところにいくことに。
血圧、脈拍、心電図、どれをとってもよろしくない。典型的なストレスで当面は安息が一番。自治会長は辞めた方がいい、との診断。そして精密検査をする方向となった。自宅に帰り、区長と自治会長総代に昨夜来のいきさつと自治会長辞任を申し出た。区長には嫌気が差したので、9月末の半期をもって後任者に引き継ぎ後、自治会を脱退することも宣言した。気持ちが少し楽になった。
昨日のブログから身の振り方を半年、早めることになった。でも、まだしこりが残っている。評議委員会の一コマで、自治会長総代が私に向かって強い口調で、
「あなたのやったことは会計が横領したのとおんなじだ!」
まさかの誹謗中傷に対し、この発言は容認できないと抗議したが、会議の場は諌めるどころか、誰も何も言わず放置された。誹謗中傷がまかり通る会議。これだけでも、私と自治会との決別が確定となった、のは言うまでもない。
本日、隔月で定期開催される評議委員会が開催され、袋叩きにあった。少しづつ自治会の機械化、電子化を進めてよりよい環境を整備してきたつもりだった。ちょっと強引すぎたか了解を得るステップ順が当局にはまるで通じず、身勝手で許し難き行為とみなされ、次回までに始末書を出せということなった。孤軍奮闘してやってきたが、一番の弱みは仲間がいなかった、と言うか歩み寄っても他の自治会長が仲間になってもらえなかった。逆にその内の一人は全くの敵で何でもぶち壊すモンスターだ。今日の顛末で、私自身の結論が出た。
本年度の自治会長の仕事を終えたら残り任期1年あるが、年度末で自治会を脱退する
理由は、自分の考えていた自治会とはまるで違い、自分の目指す世界とのギャップが大きすぎて自治会を続けていく根拠がなくなった。
残念なのは元のような生活にはいまだ戻れず、しばらく耐え忍ばなくてはならない。
暴露とは大げさだけど、一体どうしてこうなったのか。考えてみるになかなか整理できない。歴代の自治会長の中でも私ほど追い詰められた人はいないだろう。
どうしてか、多分に各自治会長の役割り配分の差によるものだろう。本暴露では、人名は明かさないが、その他は実名を使うことにした。今所属する自治会の名は、「等々力区」。この区は8年前に2つの自治会「本郷」と「神田町」の2つが一つになった。理由は区長への負担が圧倒的に絶大で誰も引き受け手がいなくなった、と聞いている。今まではすべての苦情・陳情が区長に集まり身動きが取れず、かつ次の担い手も出ずに崩壊寸前。そこで、隣り合う2つの自治会の中から総務部や防災部、防犯部、環境部などを併設して実務を平準化した。そして2つのブロックから交互に区長を選出することで何とかやりくりできるようにした。
今、私が請け負っているのが総務部の中の庶務。自治会長自体はそれぞれのブロックから3名、計6人と区長を加えた執行部体制で自治会活動をしている。6人の自治会長でそれぞれのブロック毎に「総代」「庶務」「会計」の役割り分担となっている。各ブロックに同じ3つの役があるが、実は「正」と「副」に分かれていて、輪番で毎年、「正」と「副」が入れ替わる。私が属する「本郷」は今年が「正」の当番で、「正の庶務」を引き継いだ。「正」の当番は等々力区全体の仕事が任され、「副」は「正」のサポートの立場であるが、ほとんどやることはない。これだけ年によって当たり外れが出る。「副」は会社で言えば「閑職に追いやられた人」だ。それほど仕事のボリュームが違う。そこで、6人の自治会長の中でいちばん大変なのは「正」の「庶務」だ。区民に回覧/配布する執行部からの文書は全て庶務が書く。出来上がった文書の発行人は「区長」「総代」名だが、ただ名前を貸しているだけ。「庶務」の文書だ。
翻って、もし今の私が「正の庶務」の役割り分担でなかったなら、すべての状況が変わっていただろう。「自治会長なんて、気楽なもんさ」で終わるに違いない、と。
学生時代に「運」と「不運」が人生を決定付ける、と言っていた運命論者がいた。当時は軽くあしらっていたが、この1年は正に正論であることを痛感している。
それでも、毎年「正」の「庶務」は無事に執務をこなしていたらしく、変な噂を聞いたことがない。逆に今まで平然とやれたことを「お前はなぜできない」の声が聞こえてきそうだ。どうしてそうなったか、少しずつ紐解いていきたい。
3ヶ月前の冒頭の書き出しは、
勝手にブログを自ら炎上させてしまいました。まだ、元のようなブログに復旧するに至りませんが、月1くらいは近況報告させていただき、まだ生きながらえている証を示したいと思います。従来の日記風の書き方でなく「です・ます」調で書きます。
と言いつつも「です・ます」ではなく、もとの書き方に戻すことにした。自治会長になって、4ヶ月が過ぎた。毎日が苦闘の連続で1日たりとも自治会のことから開放された日はない。家庭にも重苦しい雰囲気が波及し、崩壊しそうな日々を過ごしている。前報では1ヶ月に1度程度は報告しようと思っていたが、もう何も書くことはない、あまりにも悲惨でサジを投げていた。つい数日前、同じ自治会の中で隣の神田町の納涼祭にお呼ばれした。区長を含め複数の自治会メンバーが集まった場で、
「区長、自治会長の中で仕事をしていないのはあんただけだけど、毎日、何しているの?」との問いで
「今までブログを十数年毎日続け、YouTube動画を年10回以上投稿するなど忙しかったけど、これを一切断ち切って自治会の仕事に専念してますよ。でもあまりにも悲惨で何も書けない」と答えた。すると、
「あんたの描く自治会の理想像と今、バトルでとんでもないことになっている実態を赤裸々に書いたらどうですか。暴露してもみな、迷惑しませんよ。この地域の自治会はこんな姿だってことを知らしめてください」と言うのです。
何とも意外ながら、元気をもらった。そこで少しづつ暴露することにした。何せまだ死んでない!何をしてきて、何をしたいのか最後のあがきをしたい。
勝手にブログを自ら炎上させてしまいました。まだ、元のようなブログに復旧するに至りませんが、月1くらいは近況報告させていただき、まだ生きながらえている証を示したいと思います。従来の日記風の書き方でなく「です・ます」調で書きます。
あれから色々ありました。戸隠社祭(水難から守る儀式)という祭事が4/29にあり、滞り無く終了しました。とても厳かで、戦国時代(?)から続いている様を目の当たりにしとても印象に残りました。そして、続けていく意義も感じています。
4/26は地元の消防団を花見の時機に併せて激励する会が催され、自治会長として出席しました。これも、ボランティアの消防員の皆さんに頭が下がる思いで、立派に地域社会に貢献しているのをこれまた目の当たりにしました。
さて、炎上し続けているのが自治会の世界です。とにかく閉鎖社会です。有無を言わせず、昔からのしきたりを脅迫ぽく押し付けてくるのです。こちらもアンケート調査結果や自治会規約の条項を支えに奮闘し、何とか撃沈せずに踏みとどまっています。そのストレスたるや、尋常でなくかかりつけ医にも相談しました。診断書を出すまでもないとのことで、何とか今日に至ってます。
ストレスを抱えた2つの問題で、まず敬老祝賀会を今年はせずに、対象者に分け隔てなく均等に記念品贈呈する方向で進める、のを起動に乗せることにしました。そして敬老対象者の名簿作りが今までの手法はとても問題があり、これを新たな方法に変える、しかも我々の地区だけでなく全地区で合意のもとにやることにしました。過去延々と続けてきた手法からの脱却はものすごい論争でした。区長、自治会長相手に新方法への切替を私しか説得する人がいないのです。でも何とか乗り切りました。この2件は自治会の上の委員会にかけて審議頂くことになりました。いずれも画期的は問題提起と思っています。
これに追加して、会館のテレビ更新も提案する予定です。避難場所にも指定されている会館に昔あったテレビが無くなって久しい。押し入れの隅にはブラウン管のテレビが放置されているのです。家電リサイクル法を全く無視です。そこで、思い切って75インチの大型テレビを導入し、単なる地デジ放送を見るためだけでなく、多機能テレビとして自治会でもその他の活動にも最大限に活用することを説得するつもりです。規約上、予算外で期の途中、購入を許される限度額は20万円。家電量販店を調査し、金額的には導入できる目処がつきました。これも申請して審議マターです。お硬い世界で、これも難産or死産しそうです。
怒涛の4月でした。今年はついにまともな花見ができませんでした。連休は家族が揃うので、十二分に英気を養いまた連休明けのバトルに挑戦するつもりです。委員会用の事前説明資料(上記3セット)作りからのスタートです。
また、1ヶ月は沈黙の日々となるでしょう。